昨日のブログ、お母さんの話を読み直して思い出したことがある。

土曜日の朝、母に「今日は悪いけれどパンを買って食べてね」と言われたことがあった。

私はそれがイヤだった。そもそもパンがあまり好きではなかったし、なんだか見放されてしまったようで、そんな時は「イヤだ〜〜〜!」とダダをこねることが多かった。

そうなると、母は無理をしてでもお弁当を作ってくれたものだが、ある時、どんなにダダをこねてもお弁当がない土曜日があった。

とある土曜日、いつものところに、いつものお弁当がなかった。
その代わり、100円玉と手紙がちょこんと置かれてあった。

「これでパンを買ってね。ごめんね。」

その時、「お母さん、今日は忙しいんだ」という気持ちと、「フン!」と鼻をならしたくなる反抗心の二つが芽生えた。

結局パンを買いに行くしかなく、もう諦めの心境になった。
100円あればパンぐらいなら二つも買えてしまう時代だ。でも、当時のパンって今ほど美味しくなくって、種類もそれほどなかったような気がする。
私の記憶では食パン以外では、ジャムパン、クリームパン、チョコパン、三色パンぐらいかなぁ。

菓子パンというと、表面がやけに乾燥してカピカピになっている皮のようなものがあって、その舌触りがとても苦手だった。
そんな訳で、その部分をミカンの皮をむくようにして食べたものだ。
でも、それでも美味しくなくて半分残してしまうことが多かった。

夕方、母が帰ってくると、如何に私がパンが嫌いで、お母さんが作ったお弁当のほうがいいか、食べ残しのパンを指さしながら訴えた。
母はひょうひょうと「そーお〜?そんなことないよ。パンだって美味しいよ。」と残りのパンを口の中に放り込んだ。

私は唖然として、しつこく「もうパンは、ぜ〜〜〜たいイヤだからね〜〜〜!」と子供らしくダダをこねた。(笑)

それからというもの、100円玉と置き手紙はなくなった。その代わり、バスでお店に行く機会が増えた。

何かと手伝わされるお店もイヤだったけれど、パンよりはマシだと思って我慢した。
お店のメニューから好きなものをオーダーすることができたし、何よりも母と一緒にいれるのが嬉しかった。

末っ子だったからかな、私は相当な甘えっ子だったようだ。


2006.11.04 Sat l 店主のメモ帳 l COM(0) TB(0) l top ▲
私の母は(以下、お母さん)負けん気が強くて、根っからの商売人。
苦労に苦労を重ねて、死にものぐるいに働いて、私が知らない失敗を何度か経験したらしいけれど、最後の最後で家業の蕎麦屋を軌道に乗せた。


私が小さかった頃のお母さんの記憶は、働いている姿しかない。


給食がない土曜日は、家で一人でお弁当を食べた。
もの凄く寂しかった。寂しすぎて、泣きながら食べることもあった。
でも、お母さんに「寂しい」とは絶対に言わなかった。言ってはいけないと思った。
だから、我慢しなければならない土曜日が大嫌いだった。


土曜日は土曜日でも、時々(滅多になかったけれど)高校生だった姉が早く帰ってくることがあった。
そんな土曜日は大好きだった。
もう嬉しくて嬉しくて姉にまとわりついた。
思春期の姉、さぞ私が面倒な存在だったろうとつくづく思う。


その頃の私は、今の息子と同じぐらいの年齢。
30数年前のお母さんと同じ立場になった私は、ようやく親の気持ちがわかったような気がする。
もちろん、時代が時代なだけに家に息子を一人にしておくことは絶対にないけれど、息子は息子で周囲との違いを薄々感じ取っているはず。


それでも、私ははじめてしまったこを投げ出す訳にはいかないのである。
私がそうだったように、たぶん息子も親の気持ちが分からない訳ではないだろうけど、とにかく寂しい時は寂しくて仕方がないものだ。
だから、もっと側にいてあげたい。色々やってあげたいこともある。でも、今は無理なんだ。本当ごめん。


最近のお母さんは、私にこんな話をすることが多くなった。


「体が弱い子だったったよね。すぐに熱を出してはお母さん助けて〜って言ってたっけ。いつだったか、夜中に(私を)おんぶして病院という病院を訪ね歩いたこともあった。もう、どうしたらいいか分からなくて哀しくなった。」


「私が熱を出しても、家に一人置いて仕事に行ってたじゃない。(-.-)」と突っ込むと、「あーんた、どんな気持ちで仕事してたか分かる〜〜〜???」と反撃された。


そうそう、それなのである。


怖い(?)お母さんでも、そんなふうに思ってくれてたんだとちょっと嬉しくなった。
息子にも、いつか本当に分かってもらえる日が来るかもしれないと思った。
寂しい思いをさせてるかもしれないけど、愛情がない訳じゃないのよ!って。


余談だけど、未だに体調が悪いと「お母さん〜〜〜〜〜」と叫んでしまうことがある。
もう30代も後半ですぞ。自分。
幼い頃の癖って・・・コワイ。(^◇^;)



2006.11.03 Fri l 店主のメモ帳 l COM(0) TB(0) l top ▲
毎週水曜日は定休日なので、お休みを頂いていました。
そんな昨日の水曜日、いつもなら幼稚園は11時30分が降園時間のはずが、先生方の研修があるとかで11時降園に変更。
30分の違いは大きく、家事は中途半端、頭はボーボー、凄い状態でお迎えに行きました・・・。(恥ずかしい)


そんな中、お友達のRちゃんに誘われて午後はRちゃんちに遊びに行くことになりました。Rちゃんのママ、「5時頃まで見てあげるよ。ゆっくり休んでね〜。」と優しいお言葉。


お礼に、実家から送ってもらった新米をお裾分けしました。これまたピカピカで美味しいお米なのです。今年は5月の日照不足で稲の状態があまり良くなかったと聞いていたので、生産者の皆さんのご苦労が思い浮かびました。一粒も残してはいけませんね。


そういえば、'93年でしたでしょうか。日本列島、米不足で大騒動になったことがありましたね。当時、私はまだ20代前半。社会人1年生で、初めて勤務した地域は生まれて初めて住むところ。お米がたくさんとれる地域として有名なのに、その年はお店に新米が並ぶことはありませんでした。


どうやって食いつないだのか記憶がないのですが、朝食は食べず、お昼は仕出し弁当、夜は疲れて速攻おやすみを繰り返していたので、お米が売られていなくとも食べることには苦労していなかったような・・・。


仕事の厳しさを肌で体験したこともあり、食欲がない日が続いたんですね。私の人生で最も体重が軽かったのもその頃で、その年だけで軽く15kgも痩せたのでした。


周りから病気じゃないかと心配されましたが、そういうときって自分が痩せたことに気付かないもので、なんか体がゴツゴツしてきたなぁ・・・という感じるだけでした。ある日、体重計に乗ってびっくり。テレビじゃないけれど、体重計が狂ったと思い、バシバシ平手打ちしたものです。


あれから10年以上の月日が流れ、今ではとんでもない体重になってしまいました。昔とは違った意味で、体重計を平手打ちしたい気分になります。


しかも、今は妊娠中で健診のたびに体重計に乗る恐怖を味わってます。いつかの新聞に、現代は妊娠中の体重管理が厳しいために、赤ちゃんの体重が軽量化傾向にあるという記事がありました。妊娠中毒症を防ぐための体重管理なんでしょうけど、何事も賛否両論があるものですね。


さてさて、今日は木曜日。これから朝食の支度をして私も仕事に行って参ります〜。

2006.11.02 Thu l 店主のメモ帳 l COM(2) TB(0) l top ▲